コワモテの遠藤憲一さんは、昔はヤンキーだったとの話がありますが本当のところはどうなのでしょうか。
神奈川県の進学校に通っていたとか、いやそれはただの噂だとかか色々言われていました。しかし、最終的には中退したとの事。
高校中退後はどのようにして俳優になられたのでしょうか。
中学までは野球をしていた
遠藤憲一さんの出身小学校は見つかりませんでしたが、小学2年生の時にそれまで住んでいた品川区から横浜に引っ越しをされています。
その距離での引っ越しだと普通は転校することになりますが、遠藤憲一さんは友達と離れるのが嫌だったため、転校はせずに電車で品川区の小学校に通い続けていたそうです。
また、小学校時代は野球に熱中されていたようです。放課後は毎日野球をして遊んだり、ランドセルのままナイター観戦に行くほどの熱中ぶりだったようです。
そして、中学校時代(横浜市立山内中学校)も野球部に所属をしていたそうですが、中学に入ると上手い選手が増えたこともあり、中学で野球は辞めてしまったそうです。
ちなみにポジションはピッチャーとファーストで、リリーフ投手だったそうです。
ヤンキーだった高校時代
遠藤憲一さんが入学した高校は、横浜商工高校(現・横浜創学館高等学校)で、現在の偏差値は40~51ですが、当時の偏差値は38だったそうです。当時の横浜商工高校は大半がヤンキーで、真面目だった遠藤憲一さんも感化され、見た目がヤンキーになっていったそうです。
また、勉強が嫌いだった遠藤憲一さんは1学期が終わると教科書をロッカーの中に入れて夏休みを過ごしました。そして2学期になると、学校の校則によりロッカーの中に入れていた教科書が全部燃やされていたそうです。
そのことでやる気がなくなり、2学期の1週目で高校を辞めたそうです。その後はアルバイト生活で生計を立てていくことになりました。
当時の遠藤憲一さんはまさに不良といったいで立ちでしたが、実はケンカは大嫌いで人を殴ったことはないと語っています。
ですので、当時はカッコだけで、根っからのワルではなかったようです。
中退後は劇団員に。役者への道
高校中退後の遠藤憲一さんは役者の仕事に興味を持ち、役所広司や仲代達矢が主宰する「劇団無名塾」の応募倍率200倍の選抜試験を受けて見事合格します。
舞台俳優として活動をスタートしますが、辞め癖がついていたことと、劇団の雰囲気が合わなかったことと、ルールの厳しさについていけずせっかく入れた劇団を10日で退塾してしまいます。
その後、スカウトされ「劇団フジ・東京宝映」に籍を移して再び役者活動を始めます。21歳で火曜サスペンス劇場でドラマデビューしますが、そのとき先輩俳優を容赦なく殴っていたそうです。
その後は目立った活躍も無く、刑事ドラマや時代劇などの作品に出演し下積みの経験を積みます。
そして、俳優として食べていけるようになったのは29歳になってからだそうです。
まとめ
遠藤憲一さんの出身校や生い立ち、芸能界デビューのきっかけについて調べてみましたがいかがだったでしょうか。
下積み生活が長いことで知られている遠藤憲一さんですが、今や人気俳優ランキングの上位に顔を出すほどの売れっ子になりました。
そして、若いころは何でもすぐに投げ出してしまっていたという遠藤憲一さんですが、役者だけは投げ出さずに何十年も続けられています。
それは、やはり遠藤憲一さんにとって役者は天職だったのでしょう。遠藤憲一さんの今後ますますのご活躍を期待しています。
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