現在、キャスターとして活躍中の真矢ミキさんですが、知る人ぞ知る、宝塚歌劇団出身です。その時代には、型破りの大スターだったわけです。そして劇団出身の同期には、大物もいたのです。
現在の活躍しか知らない方も、多いのではないでしょうか。
そこで、その経緯も含めて調べてみました。
プロフィール
■真矢ミキ(まや みき)
□生年月日
1964(昭和39)01.31(水瓶座/O型)
□出身地
広島県広島市西区南観音町
□特技
舌打ち
□サイズ
不明
□特記事項
夫は西島千博
誰もが魅了される男役のスター
宝塚歌劇出身の真矢ミキさん。いつまでもきれいな方ですね。
真矢ミキさんは、1979年に宝塚音楽学校に入学しました。宝塚音楽学校の試験では、39人中37位だったそうで、「劣等生だった」と語っています。
卒業後、初舞台から注目されて、歴代花組トップスターに勝るもおとらぬ個性派スターとして活躍されました。「周りの男役は女子校出身者ばかりで、共学出身の私は間近で見てきた男の子の良さを取り入れようと思った」とおっしゃっています。
それに当時宝塚歌劇は、男役も娘役も、アイシャドウは「水色に紫」、そして口紅は「赤」でした。しかし、真矢ミキさんは「男でそれはありえない!」ということで、目元を「グレー」にし、口紅は「ベージュ系」の落ち着いた色に変えたそうです。
型破りであり、それが成功として実現されているので、トップスターになるわけです。
同期は、トップ娘役の黒木瞳。
真矢ミキさんの同期にあげられる方の中に、涼風真世さん、毬藻えりさん、そして黒木瞳さんがいました。真矢ミキさんを含めて、宝塚歌劇団67期生からでた4代スターとして知られています。
イレネ飯田さん、梨花ますみさん、日本航空123便墜落事故犠牲者の北原遥子さんも宝塚歌劇団67期生として活躍されました。
その中で、黒木瞳さんは月組トップ娘役として活躍されました。
黒木瞳さんは、1981年に宝塚歌劇団入団しました。入団時の成績は39人中3位と優秀でした。娘役としては、史上最速となる入団2年目で月組トップ娘役に就任しました。大地真央から相手役として抜擢され、真矢ミキさんと同様、非凡な存在として大活躍されました。
成績上位で宝塚音楽学校を卒業して、入団2年目で月組の娘役トップとなった黒木瞳さんは、わずか4年半で宝塚人生を終えました。対する真矢ミキさんは18年在籍、成績下位から花組男役トップまで上り詰めたのです。
退団後、女優へと転身、そしてキャスターへ。
その後、真矢ミキさんは、女優になろうと決意して宝塚を退団します。ところが、真矢さんは女優として1999年~2002年まで、10本程度のドラマ・映画・舞台に出演しましたが、なかなか宝塚の時のような人気が出せませんでした。結果、事務所から戦力外通告されたのです。
それでも、真矢ミキさんはあきらめませんでした。ドラマ「踊る大捜査線」のオーディションを受けることになるのです。これをきっかけに、どん底からはい上がり、念願の芸能界復活を果たしました。
2015年3月1日から事務所を移転し、「真矢みき」から「真矢ミキ」改名。情報番組の司会など、様々な番組に起用され、現在では人気者となりました。また、好感度ランキングには上位の常連となっています。
まとめ
こうしてみると、真矢ミキさんは「決断」の人、「行動の人」であるのかな、という印象をもちました。
舞台では過去の経験を取り入れて、結果が成功となり、地位を確立した事は、なかなか真似出来ることではないと思われます。女優としてつまづく事もありましたが、現在は持ち味をだして活躍中と至ります。
現在まで、おそらく誰も知らないだけで、実際はそうとうな努力があったはずだと思います。
宝塚歌劇団の時代に、そうした下地が出来たのでしょう。
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